七回目のカタルシス

日々の記録と記憶

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承認欲求について少し赤裸々に書いてみようと思う

普段クールぶっている僕だけれど、ツイッターでいいねをもらったりすると、正直めちゃめちゃ嬉しい。マジで飛び跳ねるくらい嬉しい。いいねきたー!と思う。

「いいねをくれた、そんなあなたがいいね」ボタンがあれば100回くらい連打したくなる。リツイートなんてされた日にはもうブラックサンダーあげたくなる。引用リツイートで記事を褒められたりしたら即刻昇天する。場合によってはガリガリ君買ってあげることも辞さない。

 

140字以内で日常の物事をつぶやくだけ。考えることもあるけれど、別に一言でもかまわない。それでもいいねをもらえることもある。

おはよう。いいね。おやすみなさい。いいね。記事書いたよ。リツイート。おっぱい。いいねいいねいいね。

神すぎる。フォロワーさんは神か?神は人間界にこんなにたくさんいたのか?そう思う。

 

ツイッターを始めてから知ったけれど、ツイ廃という言葉がある。日常生活に支障をきたすほど、ツイッターの世界にのめり込んでしまう人のことだ。今僕はその人たちの気持ちが少しわかる。

自分が思った以上にツイートが伸びたり記事が拡散された時、普段途切れ途切れにくる通知もその時は一度にドバっとくる。気づけばフォロワーさんが数十人単位で増えている。普段の要領で通知を追って、頂いたリプライを返していくだけで時間があっという間に過ぎていく。全部通知を読み終わった時は疲れ切っているけれど、何ともいえない充足感がある。

しかしそれは瞬時に過ぎ去るブームのようなもので、一日経てば急速に収束し普段の日常に戻る。そんな日常も楽しい。離れられない魔力がある。

 

そもそも僕がツイッターをやっている主たる目的は、ブログを読んでもらうためだ。ただ日常を記録するためであれば一人部屋の隅で誰にも読まれないように日記を書いていればいいけれど、わざわざブログを媒体としているのは多くの人に読んでもらいたいからだ。最近はそこまでPVに執着しなくなったけれど、たくさん読んでもらった時はやはり嬉しい。

 

僕は昔から文章を書くのが好きで、そして文章力が高い人や表現力が豊かな人に憧れている。言葉にするのが難しい感情を上手にすくい上げて、頭脳のあちこちに散らばった思考を綺麗にまとめて、表現できる才能に嫉妬する。僕はそういう人たちに少しでも近づきたくて、文章を書いているのかもしれない。

 

だけど、今はまだ自信がない。けして自分を卑下するわけでもなく、僕はいつだって不安だ。無心に書いている時はまだいい。でも書き終わった後、これの何が面白いのだろうと絶望に暮れることもよくある。こんなふざけた文章や出来事を世に公開して、いい加減嫌われてしまうんじゃないかとビクビクしながら公開したりもする。たまに自分でもこれはうまく書けたと思うこともあるけれど、自分の面白さの基準や感性が世の人々のそれと合うわけではないから、反応がくるまではとてつもなく恐い。

 

多くの人に読んでもらいたいと願いつつ、読んでもらうのが恐いという自己矛盾の正体は不安だ。だから公開してすぐにいいねをもらったり、はてなスターを貰ったりすると、僕は心底救われる。一つでも、二つでも、とても嬉しい。たぶん僕は必要以上に反応に怯えていて、だからこそ記事を褒めてもらったりすると、嬉しくていつもすぐにリツイートしてしまうのだろう。

 

時々、僕のブログを読んで面白いと褒めてくださったり、文章が好きだと言ってくれる仏のような読者様がいらっしゃって、おかげで何とかブログを続けることができている。

要は僕は褒められたいのだ。認められたいのだ。自信がないから、不安だから、一つのいいねで僕は救われるのだ。これは承認欲求とは違うのかもしれないし、或いはもしかしたらその最たるものなのかもしれない。いや、きっとそうだろう。結局はそういうことだ。僕は承認欲求の塊なんだろうな。

 

「文章を書く」という好きなことを楽しく続けながら、相反するように心に同居している不安を解消するためには、僕は書き続けるしかない。いいねやスターは無理に貰うものではない。本当に読んで良かったと、そう思ってもらえる本当の「いいね」が一つ、また一つと重なっていくごとにそれを少しでも自信へと繋げていけたらいい。

ろくでもない記事を書いて罵倒や批判されることもあるかもしれない。でもそれで書くのをやめたらそこで終わってしまう。更新の頻度に波はあると思うけど、大切なのはこれからも書き続けていくこと。

 

最初ふざけた書き出しで始めときながら、後半思い切り心情を吐露しているこの記事のようなブレ具合も、いつかは直るのだろうか。或いはこれはこれでありなのだろうか。その判定さえも今の僕には当然わからない。

 

さぁ書いたよどうぞ読んでくれと、盛大な自信を持ってこの世に記事を公開できる日が何年後になるかわからないけれど、そもそもそんな日が訪れるのかわからないけれど、少なくとも今日という「今」はこんなことを考えていて、数年後にこの記事を振り返って見た自分に、あの日よりも少しは成長しているなと思ってもらえるように、今抱いている感情を精一杯、この記事に閉じ込める。