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924gという超低出生体重児で生まれた息子を全力で育児してる一人の友人の話

一人の友人の話をする。

彼とは大学入学したての頃に出会った。私たちは同じ工学部ではあったが、私が電気情報系を専攻しているのに対し彼はエネルギー科学系を専攻していた。そして私たちが出会ったのは講義でも研究室でもなく、テニスコートだった。僕らは泣く子も黙って飲んで吐く伝説の硬式庭球部に入部した。

 

友人との出会い

 

異性との健全な出会い、交際、夢に描いたバラ色のキャンパスライフを何を気が狂ったか自ら全て捨て去り、ただただ日々太陽に照らされ黄球を追い続けた。その身は全身真っ黒になり、男しか周りにいない環境にその心は全てが漆黒に染まった。

 

うすうす思ってはいた。あれ、俺のキャンパスライフ...もしかして...失敗してね?

 

だがそれに気づかぬ振りをして、描いた夢を追えない現実を目の前にして、顔は泣きながら心は泣き叫びながら来る日も来る日も黄球を追い続けたのだ。

 

彼とはそのテニス部で出会った。週6でガチで練習するガチな部活だった。そしてことあるごとに飲み会も多かった。男しかいない、何が楽しいのかわからない、狂気の飲み会。先輩方は我々後輩の体にある水分をどれだけアルコールに変えることができるのか、それだけを楽しみに生きていた悪魔集団だった。酒に強く、体も強く、身は黒く、心はもっと黒かった。そんな悪魔たちの中でも、特に飲ませ好きな先輩らの近くに座ればもうジ・エンド。乾杯からロケットスタートの連続コールが始まり、3分以内にトイレに駆け込むこと必至だった。

 

私はできるだけ最初は控えめな先輩の近くに座り、何とか難を逃れようと悪どく立ち回った。飲ませ好きな先輩が近づく気配を察するや否や、吐いている友人の傍に近寄り看病している風を装いつつ自分も酔って死にそうな迫真の演技を繰り広げた。だが悪魔たちはそれを見透かし戦慄の笑顔で近づいてくる。私はいつの間にか彼らに捕らえられ、磔の呪文(インペリオ・服従せよ)を唱えられたが如く飲まされ続けた。そして私も気づけば一人の悪魔と化し、まだ平気そうにしている人間をこちら側に引きずりこむ役目の一端を担った。それも嬉々として。

 

私はそんな風に受動態で悪魔へと引きずり込まれた可哀想な同情されるべき人間なのであるが、友人は違った。彼は能動的に自ら悪魔となった。彼は率先して飲ませ好きな先輩に近づき、乾杯の発声とともにコールをされるより早く彼は目の前のビールを飲み干し、そのまま二杯目をコールされるかと思いきや自ら先輩にコールしだす天変地異の所業を成し遂げた。そして修羅と化したそのテーブルは閻魔も近づき難い地獄と化した。地獄は近くのテーブルから次々と闇に引きずり込み、やがて部屋全体、そして店全体に波及していった。

 

餓鬼が如くの格好と体勢で吐き続ける私たち。まさに地獄絵図。そんな地獄を作り出す一因を自ら買って出る悪魔的能動性を持つ友人の凄さがわかってもらえただろうか。

 

そんな部活の異常性と彼の能動性を紹介したところで、話を少し元に戻そう。

 

私と彼は、テニスをしたことがないにも関わらず、大学から硬式庭球部の門を叩いたライバルだった。

 

サッカーでインターハイに出場した抜群の運動神経の彼

 

私たちは何を気が狂ったのか硬式庭球部に入り、気が狂った集団である硬式庭球部にそのまま飲み込まれ、そして気が狂っていった。だが気が狂う前、まだ頭脳が正常に機能していた頃、私と彼は初心者同士の良きライバルだった。

 

彼は運動神経が良かった。高校の時はサッカーでインターハイに出場した素晴らしい経歴を持つ。体力も高く、足も速く、動体視力も良かった。

 

かたや高校まで卓球に打ち込み、地方大会を勝ち抜き県大会に出場するも最後の試合で家にラケットを忘れて敗北を余儀なくされた阿呆極まりない経歴を持つ私。

 

どちらがうまくなったかは言うまでもないかもしれない。最初の頃は卓球とはいえラケットを使っていた私のほうが上達が早かったが、彼の熱心さ、そして持ち前の運動神経であっという間に追い抜かれ、手の届かないところに彼は登っていった。

 

そんな切磋琢磨しあう大切な仲間だった。私たちはプライベートでもよく飲んだし、カラオケでひたすらRADだけ歌い続けたし、ひたすら遊んで心から笑い転げたし、気が狂っても大好きなテニスのあの黄色の球を馬鹿みたいに追いかけ続けた。私たちは一瞬一瞬に、その刹那刹那に、魂を込めるように、生きていたのだ。

 

そして私たちは大人になり、それぞれの道を進む。彼のブログで出会った衝撃。

 

そんな私たちもいつの間にか大人になった。彼は関東の方に就職し、仕事で海外にもよく行っていたので社会人になってからはあまり会えなくなってしまった。だが彼の結婚式で再び出会い、幸せそうにしている彼を見て私も嬉しくなったものだ。

 

そしてその後、彼がブログをしているのをたまたまSNSで目にした。実は私もその頃人生の転機を迎えたところでブログを始めようとしていたのだが、彼はその少し前に始めていたようだ。

 

その中身は衝撃的だった。私は今でも、あの時の動揺とショックを忘れられない。

 

「はじめに」と書かれた記事だった。そのブログの説明が書かれた最初の記事だった。

 

 

『2017年6月

 

体重924gという超低出生体重児として生まれてきた息子。』

 

 

この2行からその記事は始まる。

 

私は信じられなかった。嘘だと思いたかった。ついこの間、幸せそうに結婚式を挙げていた彼ら夫婦の子供が、いつも明るくアクティブで、周りを巻き込んでいくそんな彼の子供が、924gという小さな体で生まれてきただなんて。

 

その赤ちゃんの容態が気になり、書かれている記事を次々と読んでいった。記事には色々なことが書かれていた。生まれる前の奥さんの様子。その心情。心配する彼の気持ち。生まれる直前のこと、生まれた直後のこと、しばらく入院していた時のこと、命の危うさを感じたときのこと。事細かに、詳しく、正直に。

 

彼の記事は、美しすぎるまでに、愛に溢れていた。彼の小さな息子と、そして必死な思いで子供を生んだ奥さんへの愛で、満ちていた。綺麗だった。私は彼のブログを読み進めているうちに、いつの間にか、涙を流していた。

 

彼ら家族はすごく、すごく、懸命に、必死に生きていた。そんな彼らの様子をなんて表現したらいいか、どう紹介したらいいか、私には力が足りないけれど、彼が懸命に子供と奥さんを支えてきた軌跡を、どうかその目で見てほしい。

 

育児、しようよ

 

彼は半年間の育児休暇を取得し、懸命に子供と奥さんを支えてきた。愛で溢れるそのブログを読んで、命の尊さを感じずにはいられない。

 

彼の息子さんは、今とてもとても元気にしている。誰が見ても、924gで生まれた子供だなんて思わないだろう。そんな彼らの素敵な楽しい日常があるのは、能動的な彼の力と、素晴らしい愛があるからに違いない。彼の育児記録は今も続いている。元気な彼の息子を見て、私もいつも元気をもらっている。

 

いつかまたさらに成長して、友人と一緒に出会える日を、楽しみにしている。

 

この記事を読んでもらった方も、彼の小さな息子の成長を一緒に応援してもらえないだろうか。全力で育児に愛を注いでいる友人と、愛を受けてすくすくと大きくなる息子の日々の記録。あなたもきっと、勇気をもらえることと思う。

 

nrkwjn.com

 

(fin)