さいちゃん、銀行辞めたってよ

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寮で出会った管理人夫婦との出会いと衝撃的な別れ

銀行で働いていた時、私は4年ほど独身寮に住んでいた。大正時代に建ったと言われても納得してしまいそうなほど古く汚い建物で、「ここに住まないといけないのか...」と、フレッシュな新社会人のキラキラした魂は全て一瞬にして絶望に突き落とされた。それでも私は4年住んだ。今日はその寮で出会った管理人夫婦の話をしよう。

 

4年住んでいた間に管理人夫婦は3回変わった(基本的に住み込みで夫婦が管理人として派遣されていた)。優しい人もいたし変な人もいたものだが、中でも最初の管理人は別格だった。

 

太っていてイカつい容姿、いかにも不健康そうな身体、「血圧は常に200です」って顔に書いてある気がした。奥さんも似たような容姿だったが、異質すぎる旦那に比べれば幾分まともだった。だがそれはほどなく気のせいだったと気づかされた。夫婦は二人とも変わり者だった。

 
彼らはいつだって喧嘩していた。喧嘩していない所を見た人間はおそらく寮に一人もいない。「喧嘩」の次元を時としてはるかに超えていた。大声での罵声の応酬は当たり前、彼らの部屋では物を投げ合う音が寮のフロアに響き渡っていた。「ああ、自分もいつかこんな家庭を築きたいな」と人々が思い描く夢と理想の宇宙的なまでに対称的な夫婦が彼らだった。

 

寮生は朝の食堂で彼らの暴力的喧嘩を見て、朝食を食べ、出勤する。彼らの暴力的な喧嘩は我々のマインドを容赦ないまでに限りなく下げ、憂鬱的出勤を強いられた。そのため通常の銀行員より7割減のモチベーションで仕事をこなす羽目になったしこれは想像以上に仕事に響いた。

 

彼らはいつだって我々の文句や話の種であったし、確かに変わり者に間違いないが、しかし彼らはけして人の悪い人間ではなかった。腹を減らして野垂れ死にしそうな私が食堂のソファで倒れていると、そっと「これ食べんね」とパンを差し出してくれたこともある。おお、これが世に言うギャップというやつか、と思ったこともある。

 

だが、そんな時折見せる優しさもいつしか幻想へと変わった。夫婦は金に困っていたらしい。というより夫の方が、特に金に困っていたようだ。彼はなんと新入生を狙って金をせびるようになった。それも頻繁に。金額は1000円~3000円と、1回の金額は多くはなかったが何人もの寮生に声をかけていた。

 

私も一度突然声をかけられたことがある。

「すまんけど、1000円貸してくれんかな?タバコ代がなくてね、困ってるのよ」

 

私はそんな「新入寮生狙いの金借り管理人」の噂を聞いていたとはいえ、実際に声をかけられるとさすがにショックを受けた。あの野垂れ死にそうな私にそっとパンを差し出してくれたあの優しさは幻だったのか、いったい何がこの人を地の底に落としてしまったのだろうと悲しくなった。

 

私はお金を貸さなかった。返ってくる保証もなかったし、そもそも貸す義理もない。我々は寮の管理人と寮生の関係であり、それ以上でもそれ以下でもない。断った私に彼はこう言った。

 

「そうか、すまんね。○○君、結婚は考えてした方がいいよ。やっぱりお金を握られるとろくに使えんけんね。ちょっと小遣いが足りなくなっただけなんだ、気にしないでね」

 

一層虚しさが心を支配した。いっそ1000円くらい貸してやろうかとも思ったが、そうしたところで後々互いに気まずさが残るだけだ。新入生にお金をたかる根本的な原因は、彼が言うように結婚そのものではないだろう。彼らの夫婦間にまともなコミュニケーションが存在していたとは到底思えない。彼らがどんな出会いをして、どんな愛を育み結婚に至ったのかは当然知らない。いつしか大声で相手の悪口を言い合うことでしか会話が成り立たなくなってしまった、その悲しすぎる過程も知る由もない。

 

それからしばらくして、彼ら夫婦は突然寮から姿を消した。あまりにも突然だった。何の挨拶もなかった。ある日、朝起きたらいつもの食堂での夫婦の罵声の応酬は聞こえず、全く知らない優しそうな男の人が料理を作っていた。「新しい管理人です。よろしくね」

 

夫の方が新入生相手に金をせびるようになるようになってから、これは会社にもさすがに報告が多数上がっていたようだ。解雇になったのか、別の職場を与えられたのかはわからない。だがもう、あの夫婦に会うことは出来ない、それだけは間違いなかった。

 

私が寮で仲良くしてもらっていた一つ上の先輩は、たまたま最後の夜に彼らに会ったらしい。「実は今日までなんだ、今までありがとう。世話になったね」そう言い残したという。

 

それを聞いた私と先輩は、意外にもとても悲しんだ。確かに変わっていたし、新入生にお金をせびったりするのは管理人として重大に問題があったと思うが、私たちに時折見せる優しさは嘘ではなかったはずだ。

 

今何をしているかはわかる術もないけれど、私たちに向けてくれたあの優しさを少しでも奥さんに注いでくれていることを願う。余計なお世話かも、しれないが。

 

(fin)