さいちゃん、銀行辞めたってよ

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田舎に帰って星の綺麗さに言葉を失ってしまった。

私の地元は長崎県のとある田舎なのだが、一昨日仕事が終わってから夜遅くに地元に帰った。家には母がいるのだが、家に着いた時はちょうどお風呂に入っていたようでインターフォンを鳴らしても出てこなかった。しょうがないので外で待とうと振り返り、空を見上げてみて私は言葉を失った。

 

あまりに星が綺麗だったのである。

 

夜空に散りばめられたその純粋な輝きに、単純に驚いてしまった。こんなに綺麗な星を見たのはいつぶりだろうか。何年か前に屋久島で見た星空に心を奪われて以来かもしれない。だけどあの感動は、神秘の島屋久島だからこそ味わったものだと思っていた。非日常の旅に出て、心安らげる仲間がいて、そして幾千年と歴史を刻んでいる世界遺産縄文杉のある島にいるという特別な状況だったからこそ味わった夜空の感動だったと思った。でも違った。星はいつだってすぐそば傍にあったんだ。

 

でもその煌く光を私はずっと気づいてこなかったと思う。今は福岡の都会の方に住んでいるので夜が更けても明るい。長い間意識して星を見るなんてことはしていなかったけれど時折見上げる夜空を見ても特に何も感じなかった。澄んだ冬の夜空に特に輝く星を綺麗だなと思うことはあったかもしれない。シリウス、ベテルギウス、アルデバラン...。確かに綺麗だと思う。でもふとした日常に感動を覚えるまではしない。都会の明るさに星の美しさが掻き消されているからだ。

 

だから田舎に帰って驚いた。別に意識して夜空を見上げたわけじゃなく、自然に目に飛び込んできた。空がとても広くて、そして星があまりに近かった。近くて、澄んでいて、福岡で見えない天体も、その多くが目に映っていた。息を呑むほど美しくて、私はしばらくその場にたたずんでいた。

 

私はいつも、感動する景色に出会いたいと心のどこかで思っている。でもそれは例えばアメリカのナイアガラの滝だとか、ボリビアのウユニ塩湖だとか、遠く遠くに足を運んでみないと出逢えない景色だと思っていた。先ほど述べた屋久島もそう。遠い非日常の場所に行くことで出逢える景色じゃないと、自分の心のどこかにある欲求は満たせないと思っていた。

 

でも違った。いつもそこにあるはずの星の綺麗さを、まさか田舎に帰って思い知らされるなんて、想像もしなかった。私は間違いなく、その綺麗さに感動したのだ。心のどこかで求めていた景色を、自分の生まれ育った原点の場所で発見したのだ。

 

そして同時に、その感動を発見した喜びと同じくらいの悲しさも覚えてしまった。高校を卒業して地元を離れてからもう10年以上経つ。それまで一度も気づかなかった。あるいは忘れていたのだ、小さい頃いつも見ていたはずの夜空の光景を。なんだか寂しくなってしまった。

 

私は都会に出てその便利さに浸ってしまっていたと思う。交通機関は優れており、お洒落な店や買い物できる店も豊富、アミューズメント施設も多い。実際便利だし、一時間に一本しか来ないような地元の私鉄にストレスを感じるようなこともない。仕事も多く、美味しいお店も多く、出会う人も多い。一生田舎で暮らしていたらわからないことも、都会に出てきてたくさん学んだ。

 

でもこうやって田舎に帰って自然の美しさにハッとさせられるくらい、自分はいつの間にか都会に染まっていたんだなぁと思ってしまった。高校卒業するまでの18年間を暮らしていたのに。生まれてからずっとそこにいたのに。忘れていたんだ、ずっと。

 

もしかしたら小さい頃に抱いた感情だとか、感覚だとか、見た景色、感じた匂い、虫の鳴き声、何でもいいんだけど、少しずつそれらは忘れていくものかもしれないけれど、こうして時折田舎に帰ることで、思い出してほしいものたちがいっぱいあるのかもしれない。その感情や感覚たちはいつも自分のどこかに隠れていて、普段出てきてはくれないけれど、きっと失くしてはないはずだ。少なくとも18年間この一身に受け止めてきたものたちだから。

 

帰った時だけでもいいから、思い出してほしい。自分にそう願ってる。田舎に帰って見上げた星空から、そんなセンチメンタルなことを思ったんだ。

 

(fi)